欲しいものが減ってきました。
"欲しいものがわからないとなにも手に入れられない"という言葉があります。
10〜20代の頃は、車が欲しいとか旅行に行きたい、イタリアブランドのジャケットが欲しい、仕事で稼ぎたい評価されたい、振り返れば欲しいものだらけでそれがモチベーションにもなっていました。
しかし、歳を重ねるごとに洋服はなんでもいいですし、車も乗れればいい、美味いものもそれぼどねえ、といった感じで欲しいものが減ってきました。
本当に欲しいものがありません。
何かひとつあげろと言われれば、コーヒー片手にくつろげる時間ぐらいでしょうか。
それと家族と子どもたちとのゆったりとした時間でしょうか。
いつのまにか小さくまとまってしまったようです。
欲求は人それぞれです。
60、70歳を超えても知的好奇心、趣味、スポーツ、酒、愛人までまだまだ旺盛な方もいます。
高齢者に人生100年時代を動機づけしようと政府も躍起になっています。
ちなみにこの言葉どうも好きになれません。国民すべてが長生きして人生を謳歌する必要もないですし、大きなお世話な気がしますよね。
心理学者マズローは①生理的→②安全→③社会的→④承認欲求→⑤自己実現と段階的に欲求が高次元化していくことを教えてくれました。
僕の場合は④⑤まで行こうとしたけど途中で引き返してきちゃった感じです。
ひとは承認を得るために生きていますし、ひとの評判を気にする動物です。
僕も人並みに学校や会社という組織に属し、上司や仲間から評価されたい、認められたい、あいつすげえな、カッコいいなあと思われたい欲求が確かにありました。
しかし、いつの頃からか「お前に評価されたくない」という気持ちのほうが強くなり、無理に背伸びすることもなくなってきました。
会社や上司に対しても期待することが減ったと思います(会社はそもそも期待するようなところじゃないですが)。
③の社会的欲求、つまりひとと繋がりたいとかどこかに属したいという欲求もいつのまにか少なくなってきました。
本当に大切な友人は1人2人いますが、それ以外は希薄な繋がりで十分です。どちらかというと繋がりがわずらわしいこともあります。
ちなみに仕事仲間でラインをやってないのは僕ぐらいです(→けっして変人扱いされてるわけではありません)。
そして、現在は①と②があれば、というかこの2つが最優先事項になります。つまり衣食住プラス安全です。
資産形成という人生の基盤をつくることに興味を持ったのもこの2つの欲求からです。
今までもこれからも①と②を維持するのだってたやすくはない時代ですが、どこかの国と比べればはるかに豊かな国、そして住みやすい街に暮らしていることを忘れずにいたいと思います。
それと子どもたちにわずかでも資産を、なにも金融資産や不動産ばかりではありません、生きていく上での正しい価値観とか喜びとか、そんなものを残してあげることが今一番のモチベーションです。
親父なんだか幸せそうだな、大人も楽しそうだな、と思ってくれるよう背中で生き方を見せていきたいものです。