資産の組み替えを行いました。
過去の記事で海外ETFのひとつであるTOKを末永く保持していくことを書きました。
2010年から肌身離さずこのETFを温めてきましたが、3月で会社を退職するにあたり心理的にも今後の財政を踏まえた上でも一旦手放す方が得策と判断しました。
当時のTOKの取得単価はUSD 36.75、そして売却単価はUSD 66.13ですからまずまずのパフォーマンスかと自画自賛しています。
投資のど素人がたまたま本や雑誌に掲載していたETFに感化され、証券会社の窓口に行きこれくださいといったレベルにしてはまあまあのリターンだと思います。
しかし、自分は冴えてるとか自分は投資に向いてるとかいう感情は皆無です。
むしろますます慎重になるべきだと思っています。
投資は参入タイミングあるのみです。それとインデックス投資ではどれだけ長く保持していられるかだと実感しました。
本来であればTOKを孫の代までと思い続けていましたが10年を超えられませんでした。
イチロー選手は大リーグ通算19年目です。
お恥ずかしながら長期投資とは程遠い売却となりました。
しかし僕の投資の旅はまだまだ続きます。実はこの売却分を原資にBNDをオーダーしています。
現在の会社から身を引くことにしました vol.3
前回の記事(2018.11.28)で退社を決めてから5ヶ月めの心境を書きました。
今日はさらに遡ってどのタイミングで退社を決めていたのか、その頃の極めて個人的なメモがありましたのでそのまま載せてみたいと思います。
退社を決めたのはさらに2年前のことでした。そこで2019年3月に辞めることを書いています。
それと、子どもたちへの思いも綴っています。
お恥ずかしながら何を書いてるのかわからない部分もありますがご容赦ください。
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2016.8.12
久しぶりに気持ちが動いた。前向きなのか後ろ向きなのか微妙なところだけれど。
2019年3月に目標を設定する。後悔とともに生きることはしたくない。
親のこと。家族のこと。財政のこと。資本である体のこと。残りの人生のこと。
会社を中心に人生を設計したくないと思い続けてきた。
逆にできるだけ人的資本(働いて稼ぐ)の運用期間を長くする必要性も感じている。
辞める理由に思いを巡らすより、これから先のことに頭をつかおうと思う。
子供たちには、リスクを分散させ残せるだけ残してあげたい。
親ばかなのは承知しているつもりだが、これだけ生きにくい社会ではいくつかの選択肢があるということを教えてあげたい。
そしてできるだけ多く(わずかかもしれないが)の資産を残すことが自分にとってのゴールとしたい。
子どもたちに残してあげることがモチベーション。
心配すんな。
人生は一度しかない。
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といった内容です。
ここで子どもたちに残せる資産とはお金のことだけではありません。
むしろお金のウエイトは少ないです。
それよりもどうやって生き延びていくかとか、父親がどれだけ幸福に生きているかとか、そんな思いを残せたらと思います。
同じような人間関係、同じような仕事。
その関係に埋もれてしまって身動きが取れなくなる、もしかしたら攻撃的なコミュニケーションしかとれない人間と仕事をせざるを得なかったら。
そんなとき会社なしでも自由に生きていける、他にも選択肢がある、そんな健康的で幸福な(憲法の一文みたいですが)人生を歩んでくれたらと思います。
もちろん会社に勤めることの大きなメリットも知った上でですけど。
現在の会社から身を引くことにしました vol.2
2018.7.2の記事で会社を辞めることについて書きました。
あれから5ヶ月、現在の心境について少しだけ書き記しておこうと思います。
仕事のモチベーションについては、退職が決まっているので気持ちが切れちゃうかなと心配していましたが、今は引き継ぐ方へなるべく迷惑をかけたくないという思いが強くむしろ緊張感のある毎日です。
後任も自分で面接しこの人ならという方に決めましたので、あとはすべてを託すのみです。
ソフトランディングできるよう全力で舵取りしたい心境です。
一方、自分自身のこれからについては時おり不安が脳裏をかすめます。
50過ぎのおじさんだって変化は怖いですからね。
潔く会社を辞めるのだからあたふたせずクールに去ろう、決めたことは迷わず不安を断ち切ろう、まだ見ぬ世界を見に行こう、人生は一度しかないのだから自由に生きて行こう、そんな言葉を思い浮かべる毎日です。
この会社に人生を委ねない決断をしたわけですから、もうこれからのことは自分で考え抜くしかありません。
答えは誰も用意してくれません。
残りの人生をさらに幸福に過ごせるよう、前へ前へ前進あるのみです。
経済的な問題についてはもう少しじっくり考えていこうと思います。
前にも書いた通り"負債"がないことと家族が過ごせる家があることが悩みの1つを消してくれています。
ただ支出の見直しは必須です。子どもたちへの教育費はできるだけ優先したいので、それ以外の生活コスト、娯楽費や保険の見直しなどできることはやっていこうと思います。倹約・倹約・倹約ですね。
最後に僕のお気に入りの小説"55歳からのハローライフ(村上龍著)"からの一節を。
「お金や健康など、不安はある。不安だらけと言ってもいい。だが、人生でもっとも恐ろしいのは、後悔とともに生きることだ。」
ああ良い一日だったと思える日を過ごしたいですね。
下の子どもと一緒にお風呂に入ることが多い毎日です。
そんなとき子どもに「今日良かったことをひとつ教えて、ひとつだけで良いから。」と質問することがあります。
答えはその日乗った電車のことであったり、アイパッドで見たユーチューブのことであったり、たわいもないことばかりですがとても幸せなひとときです。
同時に自分へも問いかけてみたりしますが、これがなかなか難しいです。
「仕事から無事に帰りみんなと食卓を囲めた」とか「公園の陽だまりで美味しいコーヒーが飲めた」とか子どもに負けずたわいもないことばかりです。
でもこういったたわいもないないことがとても愛おしく感じます。
20〜30代の頃を知っている仲間からすれば、どうしちゃったんだよ疲れてるんじゃないのか?とか言われそうですが、たしかにあくせく動き回る毎日の繰り返しに疲れてるのかもしれませんね。
秋になってコキアやイチョウが色づいたり、冬をこえる頃にはコブシが開いたり、美しいものは遠くに行かなくても身近なところにあるんだよなあと気付いてみたり、そんな身の回りにあるささやかで当たり障りなくて優しいものに飢えてるのかもしれません。
今日は秋晴れの公園でひとりのんびり過ごしました。おいしい空気をめいいっぱい吸い込んでおきました。
実りある一日ではありませんが、良い一日でした。
そんな一日をひとつでも多く集めていければと思っています。
株式投資のタイミングについて。
トランプ大統領就任以降の米国市場は最高値を更新し続けてきましたが2018年をまたいでからは激しい値動きが続いています。
S&P500に連動するSPYのチャートも300US$を超えていきそうな時期もありましたが270US$まで下落です。
金利上昇、貿易戦争、新興国といったネガティブなキーワードを目にすることも多くなってきました。
「いやあ株で大損しちゃってさあ」では済まない我々のような耐性の低い庶民にとっては難しい環境です。
こういう時こそ愚直にドルコストで分散して買い付けていけば良いはずですが、実は2018年がチャートの山でここから幾年にも渡って株式市場の低迷期を迎えたなんてことになったら目も当てられません。
ドルコスト平均法はひとつの成功法則ではありますが、絶対はないということです。
資本主義経済は自己増殖し長期的には市場は拡大してはいくはずですが、個人レベルではその"長期"の時間軸も考えておく必要があるのではないでしょうか。
仕事や年齢、家族構成など属性によっては株式市場への投資を当面控えることやあえて手を引くという選択肢も必要だと思います。
何度も言いますが、"投資しなくても損するわけではない"ということです。
富は差異から生まれます。
高いときに買って下落を待つ裁定もありますが、素人である我々ができるのは下落タイミングを待って買うことだけです。
じゃあいつそのタイミングがくるのかは全くわかりませんが、"一生来なくてもいいや"ぐらいの気持ちで付き合っていくのがモアベターなのではないでしょうか。
増やすのではなく減らさないことを最優先に過ごす時期だと思います。
そんな相場が続く今日この頃です。
18歳の子どもへのメール
18歳という歳は自分の将来の方向性をある程度決めなければいけない年齢です。
野球しかないとか音楽しかないとか思い込みが強かったり、両親の職業や家業の影響を受けている場合は別ですが、なにもないところから自分の進路を選ぶ作業は厳しく迷いの連続です。
なにがやりたいのか選択肢が多すぎてどうしていいのかわからないのが正直なところではないでしょうか。
親が生きてきた道や説教はなんの役にもたちませんから、自分を奮い起こして迷いを断ち切るしかありません。
わが家の子どもも進路を決めあぐねているようなので、次のようなメールを送りました。
恥ずかしながら普段まったく話さないのでメールしか方法がありませんでした。
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〇〇へ
高校生活も終盤で不安や迷いもあると思うけど、「まあなんとかなるだろう」程度でいいから。少し能天気なぐらいで。
〇〇はこれまで真面目に生きてきたし、自分を誇りに思っていいと思うよ.....
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といった内容です。
子どもに伝わったかどうかはわかりません。少しでも和らげてあげたいという思いだけでメールしました。
不安のない世界はどこにもありません。なにか唱えたり修行したりすると不安が消え違う人生のステージへ行けるという本やセミナーもありますが、それは幻想です。
そんなことで不安が消えたらそれはグロテスクな世界ではないでしょうか。
ブリッジ・オブ・スパイという映画の中でトム・ハンクスが捕虜(スパイ)に対して「不安じゃないのか?」と問いかける場面がありました。
それに対するスパイの答えは「その不安は役に立つかね?」でした。
ある歌の中には「不安や迷いと無二の親友になれればいい♪」という歌詞もあります。
2つとも僕自身が好きな一節です。
子どもには、これから「なる」ことに思い悩むより、今「する」ことを大事にして欲しいです。
少しぐらいはみだしても自分のペースで、少しずつでいいので前に進んで欲しいです。
欲しいものが減ってきました。
"欲しいものがわからないとなにも手に入れられない"という言葉があります。
10〜20代の頃は、車が欲しいとか旅行に行きたい、イタリアブランドのジャケットが欲しい、仕事で稼ぎたい評価されたい、振り返れば欲しいものだらけでそれがモチベーションにもなっていました。
しかし、歳を重ねるごとに洋服はなんでもいいですし、車も乗れればいい、美味いものもそれぼどねえ、といった感じで欲しいものが減ってきました。
本当に欲しいものがありません。
何かひとつあげろと言われれば、コーヒー片手にくつろげる時間ぐらいでしょうか。
それと家族と子どもたちとのゆったりとした時間でしょうか。
いつのまにか小さくまとまってしまったようです。
欲求は人それぞれです。
60、70歳を超えても知的好奇心、趣味、スポーツ、酒、愛人までまだまだ旺盛な方もいます。
高齢者に人生100年時代を動機づけしようと政府も躍起になっています。
ちなみにこの言葉どうも好きになれません。国民すべてが長生きして人生を謳歌する必要もないですし、大きなお世話な気がしますよね。
心理学者マズローは①生理的→②安全→③社会的→④承認欲求→⑤自己実現と段階的に欲求が高次元化していくことを教えてくれました。
僕の場合は④⑤まで行こうとしたけど途中で引き返してきちゃった感じです。
ひとは承認を得るために生きていますし、ひとの評判を気にする動物です。
僕も人並みに学校や会社という組織に属し、上司や仲間から評価されたい、認められたい、あいつすげえな、カッコいいなあと思われたい欲求が確かにありました。
しかし、いつの頃からか「お前に評価されたくない」という気持ちのほうが強くなり、無理に背伸びすることもなくなってきました。
会社や上司に対しても期待することが減ったと思います(会社はそもそも期待するようなところじゃないですが)。
③の社会的欲求、つまりひとと繋がりたいとかどこかに属したいという欲求もいつのまにか少なくなってきました。
本当に大切な友人は1人2人いますが、それ以外は希薄な繋がりで十分です。どちらかというと繋がりがわずらわしいこともあります。
ちなみに仕事仲間でラインをやってないのは僕ぐらいです(→けっして変人扱いされてるわけではありません)。
そして、現在は①と②があれば、というかこの2つが最優先事項になります。つまり衣食住プラス安全です。
資産形成という人生の基盤をつくることに興味を持ったのもこの2つの欲求からです。
今までもこれからも①と②を維持するのだってたやすくはない時代ですが、どこかの国と比べればはるかに豊かな国、そして住みやすい街に暮らしていることを忘れずにいたいと思います。
それと子どもたちにわずかでも資産を、なにも金融資産や不動産ばかりではありません、生きていく上での正しい価値観とか喜びとか、そんなものを残してあげることが今一番のモチベーションです。
親父なんだか幸せそうだな、大人も楽しそうだな、と思ってくれるよう背中で生き方を見せていきたいものです。