これをセミリタイアというのだろう
昨年の3月に30年間の会社生活にピリオドをうち、瞬く間に2020年を迎えてしまいました。
この間なにをしていたのか。
前回の記事(2019.6.24)で2ヶ月勤めたアルバイト先を早々に撤退したことを書きました。
さてどうしたものかと考えても仕方がないので目についた大手GMスーパーへ面接に行き、7月からお世話になっております。
その際、面接の方からやりたい売り場はありますかとの質問があったため、大好きな酒売り場にしてもらいました。
先方も未経験なんだしどこでもいいからやらせてみるかいう感じだったのだと思います。なにしろ世の中は人手不足です。50歳すぎのおじさんでも我慢して活用していかないと店が回らないようです。
入社してからはワイン、日本酒、スピリッツにウィスキー、ビールにRTD、酒売り場を動き回り、新鮮で刺激的な日々を過ごしています。酒に関する本を読みあさり、興味ある酒を買って試飲し、情報量が増えていくのが楽しくて仕方ありません。
たまに他店の酒売り場を見て回ったりと、こんなに"夢中"になるとは思いませんでした。
仕事は努力とか覚えるとかよりも"夢中"になることが近道だとあらためて感じています。
契約そのものは非正規なので収入はたかがしれていますが、しばらくはこの環境の中で過ごしていこうと思います。
はじめて自分自身で自由に毎日を選択できている気がします。
家のこと、家族のこと、そしてお酒のこと、誰に褒められることもありませんが、シンプルな生活を楽しんでいます。
50代のアルバイト。早々と撤退。
前回アルバイト生活をはじめたことを書きましたが、この度お恥ずかしながら退職の運びとなりました。
2か月あまりで退職です。
何をやってるんでしょうね。
結論から申し上げますと退職の一番大きな理由は、通勤時間を含めた拘束時間にあります。
某国際空港へ勤務したのですが自宅から勤務先までドアtoドアで1時間半を超える通勤となり帰宅も23時になる日がつづいていました。
自由に働くはずがこれじゃかえって不自由じゃないかというのが結論です。
何とかなるだろうと安易に考えていました。反省です。
しかしながら、国際空港での仕事はとても充実していました。
詳細は省きますが、国内外のお客様と楽しくコミュニケーションを取れる機会を得たことと仕事仲間にも恵まれました。
バンクーバー・シアトル・ホノルル・メルボルン・上海・セブ・ドバイ・ドーハ様々な場所へフライトする乗客やクルーを眺めながら、彼らが向かう街並みや暮らしを想像するのも楽しみのひとつでした。
ターミナル内で活躍する他の職種の人々とも仲良くなれましたし、一日の時間の流れも早く刺激的な毎日でした。
1つだけ難点もありました。それは逆に自分とは合わない人間関係もあったということです。
敵半分味方半分がどの職場の鉄則です。集団生活や組織には一定数の困った人々、つまり高圧的で暴力的なコミュニケーションしか取れない人間がいるものです。
30年間会社生活をしてきたので、頭のおかしい人々との付き合い方はある程度慣れていますが、やはり不快なものは不快ですね。
こういった人々へは、
①無視されても挨拶は自分からする
②無理にコミュニケーションを取らなくて良い
③理不尽な指摘や叱責には「ありがとうございます」と大人の対応をする
といったところでしょうか。
所詮アルバイトですからイヤなひとと働くくらいならさっさと辞めちゃっても良いなと思うこともありました。
時給いくらの仕事ですし、困ったひとがいるおかげでちっとも幸福に思えないなら辞めるのもありだと。
イヤなひととつきあわないという"選択の自由"があるのも今ある立場の強みではないかと。
冒頭に書いた通り99%の人々とは充実したコミュニケーションが取れました。退職日には「辞めてもまた来いよ」「また戻るんだからユニフォーム返さなくて良いよ」といったうれしい言葉もかけてもらいました。
総括すれば自分にとっては理想に近い働きやすい職場でした。
しかし残念ながら今回は結論を急ぐことにしました。
あの空港からみた美しい夕焼けをまたいつかどこかで見れたらいいなと思っています。
深呼吸して空を見上げたときのきれいな空をまた探しに。
また一歩踏み出すことにします。
50代のアルバイト。
前回の記事で退職と同時にアルバイト生活をはじめたことを書きました。
もともと正規非正規にこだわらない生き方をしていこうと考えていましたので、50代でも雇ってくれそうな、そしてこれならなんとかできそうだという職種を選んで4社へ応募しました。
今までの経験を生かすのが本来のセオリーなんでしょうが、こだわりを捨て、わずかなプライドも捨て、まずは雇ってくれそうなところへ面接に行ってみました。
50代のおじさんですから断られるかと思いきや、4社とも是非ウチにとの嬉しい回答。
人手不足なんですねどこも。
アルバイトを選ぶ時の基準は、
①50〜60代シニア活躍中
②未経験者歓迎
でした。
基本的にアルバイトやパートは採用する側から見れば、使いやすい人間の方が良いわけで、同じ仕事をやってもらうなら若い方を選ぶに決まっています。
僕が採用者で(実際にやってましたが)、仮に事務パートを選ぶなら経験ばっちりのおじさんより20〜30代の女性を優先するはずです。
50代男性の立ち位置をしっかりとイメージしておかないとどこも採用なんかしてくれません。
勘違いは禁物です。
結果的に国際空港出発ロビーでのアルバイトを選びました。
これならできそうだというイメージがあれば、勇気を持って飛び込むだけです。
所詮アルバイトなんですから。
週4日勤務の契約で1カ月が過ぎようとしています。
アルバイトとはいえ、新しい人間関係、慣れないマニュアルにも追われ、思ったより緊張感のある日々を過ごしています。
なんでこんなところにいるんだろうと思う時もありますが、深呼吸をして空を見上げると旅客機が飛び立っていくのが見えます。
飛行機雲が見れるときがあったり、赤く染まる素晴らしい夕焼けに出会えたり、こんな人生だけどそんなに間違ってないよなと思える瞬間です。
今は1日1日を精一杯生きるのが最優先事項です。
家族そろっていつかあの旅客機に乗り遠い国を旅してみたいですね。
一日一日繰り返していくしかないです。
30年間の会社生活から離れ穏やかな毎日を過ごしています。
新緑も鮮やかになり散歩にはもってこいの季節です。
4月20日に正式な退職日を迎え、健康保険や年金保険の加入、雇用保険の手続き、住民税の心配などやらなければいけないこともでてきました。
家族もおりますので、このあたりをしっかり押さえておかないと病院にもいけない状態になりますので注意が必要です。
常識的な事ばかりですが、退職後の手続きについてすこし触れておきたいと思います。
まず、健康保険の選択肢として国民健康保険への加入と前職の健康保険組合の任意継続があります。
僕の場合は後者の任意継続(ただし2年で喪失)を選びました。
任意継続だと組合全体の平均月額が保険料の限度額になるので国保と比べ安く収まります。
ひとつ学んだのは、国保の場合には世帯主(我が家の場合は同居の父親)に納付書が届くということでした。
2つ目は国民年金への加入です。
これまでの人生はサラリーマンが加入する第二号(厚生年金)であり、妻はその配偶者として第三号に加入していました。今回はじめてふたりとも第一号(自営業やフリーランス、無職など)への加入となります。
妻と2人で近所の出張所へ行き、所定の用紙に記入し、年金手帳と免許証を見せておしまいでした。あとは納付書が年金事務所から届くとのことでした。
意外と簡単です。
そして住民税ですが、所得税(国税)とは違い前年所得(1〜12月)に対して課税されます。
支払い期間も翌年6月からの納付となりますので資金繰りには注意が必要です。
納付書が届いてなんだこれということにならないようにしたいですね。
僕自身はこのほかに雇用保険(失業保険)の申請がありますが、退職と同時にアルバイトをはじめたのでどのように進めるか検討中です。
アルバイトとはいえある程度収入を伴うので失業保険の支給要件から外れてしまうはずです。
何が何でも失業手当が欲しいわけではありませんが、もらえるならそりゃありがたいですから。
今までは会社が税金や年金の徴収機関のようになんでもやってくれましたが、いざひとりになると心細いものです。
退職後の手続きの中でも健康保険と年金保険は必須ですので、速やかに漏れのないようにしたいですね。
退職後自由な時間が圧倒的に増えました。
のんびりしていれば良いのですが、時間を大切にしたい、もっと充実したいといった気持ちもどこかにあります。
そんな気持ちを少し抑えぎみに一日一日を過ごしています。
種まきの季節。
会社を離れ2週間が経ちました。
下の子から「お父さんなんで会社帰ってくるの早いの?」と聞かれ最初はあやふやに答えていましたが、今の会社を終わりにして新しい仕事をしていくことを優しい言葉で伝えました。なんだかよくわからなかったようですが。
上の子どもにも会社を離れること、そして何も心配しなくていいことを伝えました。それより子どもには自分ができそうなことをトライアンドエラー(試行錯誤)していくといいよという話をしました。
若さは資源だよと。
この間、子どもたちとスキーに行ったり、あちこちの桜を見て回ったり、散歩にプール、本を読んだりと穏やかな日々を過ごしています。
勤務先の後任からは(まだ有休消化中のため)、相変わらず確認の電話がありますが、仕事のことなどすっかり頭から抜け落ちており思い起こすのが至難です。
あの場所にいたことがもう何年も前の出来事のようです。
そしてこの春はじめて畑で種まきを経験しました。
以前の記事で(2018.4.3)両親が都市近郊の農家であることを書きましたが、現在も細々と野菜を作り続けています。
4月を迎えちょうど枝豆を植えるタイミングでしたので、子どもたちも連れ出しみんなで種を植えました。
太陽の柔らかい光と春の花の香りに包まれながら、音もなく静かに黙々と土と向き合いました。
低い姿勢から見上げた空と大地はとても美しい景色でした。
農耕民族であるわれわれの遺伝子は土に触れ作物を育てることに最適化されており、土の匂いに幸福を感じるようにプログラムされてるのかもしれません。
農業の本当の苦労を知らないからかもしれませんが、土いじりはとても心地良く豊かな気持ちにさせてくれました。
こんな気持ちになれるたのも新たな発見です。
一方でこの数日、これからの人生の軸をどうするかについても考え続けています。
この歳になってどうしていいかわかりませんでは中学生レベルですから。
これだという答えはありませんが、今の環境の中で最適な生き方を見つけていくつもりです。
焦りは不思議とありません。これならできそうだと思えることを続けていくだけです。
残りの人生はジタバタせずにビクビクせずに、そんなことを考える毎日です。
BNDで手堅く分配金を得ることにしました。
先日の記事(2019.3.23)で海外ETFのひとつであるTOKを売却することを書きました。
2009年以降メインのポートフォリオをSPY、TOKの2つに絞り保持してきましたが、これでSPYを残すだけとなります。
この3月で会社を離れることもあり所得税と来年の地方税が減ることも予想されるため(といってもたいして払ってませんが)、このタイミングでのTOKの利益確定となりました。
そしてこの一部を原資としてBNDをオーダーしています。
資金をそのままUSD MMFで運用していくことも考えましたが、米国の金利政策が落ち着いたこともあり債券ETFで分配金を狙うのも悪くないであろうとの判断です。
バンガード・米国トータル債券市場ETF(BND)はバークレイズ米国総合浮動調整インデックス(指数)に連動しています。
米国の投資適格債券市場全体に分散投資可能なETFで、安定した分配金を受け取れるのが特徴です。
純資産総額は40兆円を超え、政府系債券を中心に8000を超える債券銘柄に分散投資されています。
経費率も0.05%とコスト面も申し分なしです。
約定単価はUSD 80.17(2019.3.19)でした。
このETFを選んだ理由としては基準価格が比較的安定しており、変動幅が少ないということです。
50歳を超える初老ですからそれほどリスクも取れません。下落幅がある程度想定できるのは精神衛生上助かります。
現在は割高感のある米国株式市場に手が出しづらい時期でもあります。
株式市場に投資し含み益が増えていくのも妙味のひとつですが、今は待つことを優先しました。
いつか来たるべき時が来たら、また米国や全世界の株式市場に連動したETFに資金をシフトする予定です。
来たるその時までこの債券ETFを大事に保持していこうと思います。
来たるその時まで。
会社を離れました。
2019.3.25に会社を離れました。
退職にあたっては内外多くの関係者から「しんしんさんがいたからみんな安心して仕事ができたんだよ」とか「しんしんさんだから会社がまわってたんだよ」「いなくなって会社大丈夫かよ」とかうれしいお言葉をいただきました。
誰かがいなくなってもなんとかなるのが会社とは言え、やってきたことはそんなに間違えていなかったのだなと感じた瞬間でした。
僕がやってきたことは、会社の中の実務です。今後の経営を左右する大きな決断を迫られるような要職ではありません。
もちろん管理職ですからその時々で判断をしなければいけないことはありましたし、伝えづらいことを言い渡すこともありました。
そんな時は、「6割当たっていればいいや」とか「わからないときは勇気をもってボタンを押そう」とか自分に言い聞かせながら、前へ前へ回るように判断してきたつもりです。
それとまわりのみんなに気持ちよく仕事をしてもらいたい、良い空気感の中で仕事をしてもらいたい、ということも大事にしてきました。
できるだけ困っているひとを助けてやろう、ひとの不満を聞いてあげよう.....などなど。
自分でいうのもなんですがまあまあの出来だったと思います。
たくさんの思い出やできなかった悔しさもありますが、一旦離脱します。
思えば幼稚園~大学、そして1度の転職を挟んで30年の会社生活と常にどこかの組織に属してきたわけですから、どこにも所属していないというのはどことなくふわふわとした気持ちです。
集団生活が嫌いで、なかなか組織に馴染めない自分を奮い起こしながらやりくりしてきました。
その時々で楽しんだり充実感も味わい、お金もそれなりに稼いできましたから、これまで幸福な人生だったと思います。
自由とは人生に複数の選択肢をもつことだ。
自分の人生を会社に委ねない。
会社を中心に人生を設計しない。
いつか本で読んだこの言葉がいつもちらついています。
とはいえそんなに格好良くは生きられませんし、実際にはなんらかの仕事もしていかなくてはなりません。
でもせっかくの人生なので動けるうちは好奇心旺盛に生きていこうと思います。あれこれ試したり、学んだりしながら。
振り返らず前へ前へですね。